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中国


中国は麻雀の発祥地であり、その歴史も悠遠なものとなる。
まず前史として1000年にも及ぶ紙牌ゲームの歴史があり、改良を重ねられた末に骨牌ゲームと融合して、約150年前に“麻雀”が誕生した。当初は、牌の種類や枚数などが揺れ動いていたが、19世紀なかばになると現在の形に落ち着く。そして20世紀初めには、上海と香港を窓口として、世界中に麻雀牌を輸出する盛況ぶりとなった。 やがて日中戦争、国共内戦など動乱の時代を迎え、世は麻雀どころではなくなる。 また1949年に中華人民共和国が成立して以降も、賭博禁止令により麻雀は控えられた。
さらに1966年に文化大革命が始まると、麻雀は退廃的であるとして、指弾の対象となった。冬の時代は長かったのである。
しかし1976年、文化大革命が終了すると、麻雀人気は復活した。麻雀愛好家は増える一方となり、専門書籍も出るようになった。そして90年代に入ると掛けない麻雀も広がり、さらに身近なものとなる。1998年、国家体育総局のもとで、麻雀はスポーツとして公認された。
いまふたたび、中国は世界の麻雀をリードしようとしている。


昇官牌


中国古来のゲーム「昇官図」が、骨牌ゲームとなった「昇官牌」。麻雀の歴史を雄弁に物語っており、博物館収蔵品の中でも白眉である。牌の構成や作りから判断して、麻雀の骨牌誕生と同時期に使用され、麻雀に大きく影響したと考えられている。まだ3種類の数牌がワンズ、ピンズ、ソウズとなっていない、まさに揺籃期の牌である。

「漁樵雨読」の図が浮き彫りになっている。



清代末期の「昇官図」。昇官図とは官位出世のすごろくゲーム。低い身分から出発して、最高の位である「太傳」まで早くたどりついた者が勝ちとなる。その原型は遠く唐代までさかのぼる。清代の「昇官図」では、コマ型のサイコロを回し、「徳」「才」「功」「贓」の4つの目が出るにしたがい、升目を進んだり後退したりする。中央右がゴールで内閣「太傳」、その隣が学士「大師」、さらにその隣が衛門「太保」となっている。



中国で行われていた麻雀には、専用の麻雀卓か方形卓が使われた。比較的シンプルな作りが主流だったが、宮廷や大富豪の場合には豪華な特注専用卓が作られることも少なくなかった。当時、国宝級の卓や椅子が作られていたことは、麻雀が文化であったことの証左に他ならない。 四羊頭工芸麻雀卓 2002年10月、中国・西安で入手した古い工芸麻雀卓。羊は善良で慈悲深く、中国では祥瑞を司る動物とされている。材質は大理石と木。中国の彫刻技術の優秀さを目の当たりに見る絶品。

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