アメリカと麻雀ではイメージが合わないかもしれないが、じつは麻雀先進国なのである。
アメリカ合衆国において、麻雀の歴史は1893年に始まる。東アジアの遊戯を研究していた人類学者、スチュアート・キューリンが論文で麻雀を紹介したのだ。
1919年、アメリカ麻雀の父、J・P・バブコックが麻雀牌の販売を始める。ブームに火がついたのは1922年のことだった。時代はアメリカが“金ピカ時代”といわれた空前の好景気のころ。ブームの勢いはすさまじく、麻雀牌は飛ぶように売れた。最初に飛びついたのが上流階級だったため、パーティの二次会といえば決まって麻雀となり、ホテルには専用の麻雀ルームが作られた。それまでのブリッジ教師は麻雀教師に転職し、教室を開いた。解説書も次々と出版され、ついには専門雑誌まで創刊されたほどである。
けれども急激にブームが起きたため、ルールは乱れていた。また、新たに考案された役やインフレ化した得点法は技術より運の要素を大きくし、麻雀は知的なゲームとしての雰囲気を失いつつあった。そして「全米麻雀標準規定」が制定された1924年後半には、ブームは早くも過ぎ去っていく。
1937年、愛好家がニューヨークに集まり、ナショナル麻雀連盟を結成。今なお本当に麻雀を愛するファンは残っており、入門書や解説書も絶えることなく出版されてきた。ナショナル麻雀連盟はいまでも20万人以上の会員を持っているし、また最近では、ゼミに麻雀を取り入れる大学も出現している。



1920年代初めの雑誌に掲載された。きらびやかな服装が、麻雀は上流階級の遊びであったことを感じさせる。


J.P.バブコックはスタンダード石油の商社マンとして上海に赴任し、麻雀の面白さに心奪われた。そして麻雀の紹介と普及を志した。1919年から、彼は漢字の読めない西洋人でも使える、インデックス(アラビア数字ないし英語イニシャル)つきの麻雀牌を製造し、販売した。また、地域によって異なる麻雀のルールを欧米人向けに整理して、通称赤本と呼ばれる教則本を刊行し、麻雀牌に添えた。まさに欧米麻雀の父ともいえる存在である。




サンフランシスコで収集された「花辺牌」。いかにもアメリカ人好みの大胆な装飾が施されている。ソウズはピーナッツのように見えるが、じつは仏手柑という果物。またピンズの輪の中に彫られているのは、不老長寿を象徴する鶴。そしてワンズの枠は胡蝶である。風牌の上部には金の成る木、下部にはリスと吉祥鳥が配されている。1920年代の華北製と推測される。素材は牛骨と竹。


1922〜24年、ニューヨークのブロードウェイで開演され、ロングランとなった、麻雀をテーマとしたオペラのレコード・ジャケットと楽譜。ジャケットに浮世絵が入っており、日本と中国の区別がついていなかったことを想像させる。

麻雀をする中国人が表紙になった。



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