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ヨーロッパにおける麻雀の普及は、伝わったルートも広まった時期も、アメリカとほぼ同じである。上海や香港から伝わり、1923年から普及し始めた。
中心となったのはイギリスだった。チャド・バレー社など数社がアメリカのバブコックにならって、麻雀牌に解説本を添えて売り出した。東洋の植民地からの珍しい移入品はロンドンなどで熱狂的に歓迎され、たちまち多数のクラブができて活発に遊ばれるようになった。
1926年に書かれた、アガサ・クリスティーの『アクロイド殺人事件』には、「麻雀のタ」という章があり、天和をアガるシーンが描かれている。当時、社交界の遊びとして、麻雀が一般的に行われていたことの証明といえるだろう。
他のヨーロッパ諸国にも、麻雀は広く普及した。特に盛んだったのは、フランス、イタリア、ドイツ、オーストリア、オランダ、ベルギー、スウェーデン、フィンランド、ブルガリアといった国々だった。ヨーロッパ以外でも、イギリスの旧植民地を中心に、インド、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどで麻雀は広く流行した。 |
オーストリア・ウィーンで作られた「浮世絵牌」。ヨーロッパで大流行した芸術のジャポニズム(日本趣味)の影響を見事に受けている。風牌の太った半裸体像は聞きかじりの力士を描いたもの。三元牌には三色のドラゴンがそのまま描かれている。面白いのはワンズで、浮世絵の絵師や版元の落款と印が書かれている。五万は歌川豊国、六万の「豊章」は歌麿の初期雅号である北川豊章、七万は葛飾北齋だ。1920年代初めの木製牌。
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美にこだわるフランス人をも満足させた竹牌 オール竹製のフランス牌。竹製だが、安物というわけではない。ていねいな彫りで、いかにも美にうるさいフランス人好みの牌といえる。西の左肩にOの字があるのは、フランス語の西(OUEST)のイニシャルだ。花牌の「一品當朝」は朝廷第一の高位・高官のこと。「當貴長春」は清の乾隆帝の始めに建てられたイタリア式建築の「長春園」の栄華を示している。1索は鶴。
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ロンドンで発見された「天女散花牌」。オーソドックスな彫りだが、高級感あふれる上品な作りで、牌の風合いが体温を伝えるようである。名称の元は花牌で、あでやかな天女が描かれ、その文言の「嫦娥奔月」と「天女散花」は、ともに京劇のタイトルである。「天女散花」は菩薩や大弟子らが法を行うときに、天女が降らせた花が大弟子の体について落ちなかったという、仏典『維摩経』の一節を劇化したもの。歌と舞が主体のミュージカルで、時の名女形・梅蘭芳の当たり役となった。1920年代中期の作で、素材は牛骨。
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カナダの骨董市で発見された石づくりの麻雀牌。流行している東洋の遊戯を、カナダ流に消化しようという熱意があらわな牌である。ユニークなのは風牌で、それぞれの方角の人種が描かれている。「東」は東洋を意味し、富士山らしい山を背景に傘をさした弁髪の中国人。「南」は太平洋の島々の先住民。「西」はアメリカ西部の先住民。「北」は極地探検家となっている。三元牌は奇妙な姿をしたドラゴン。1920年代製。
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